目次
まえがき
第1章 ストローブ=ユイレ・プラス・ゴダール 下澤和義
―音楽を映像に記録するとはどういうことか
第2章 ドキュメンタリーとフィクションのはざまで 上原正博
―『アクト・オブ・キリング』と『ジェイコブズ・ラダー』におけるリアリティ
第3章 写真とことばと「不在」へのまなざし 根岸徹郎
―ジャン・ジュネ「の」パレスチナに向けて
第4章 中国映像歴史学の挑戦 土屋昌明
―胡傑監督『林昭の魂を探して』について
第5章 中国宗教儀礼における映像人類学 三田村圭子
第6章 日本における中国映画の受容史 劉文兵
―徳間康快主催の「中国映画祭」を中心に
第1章 ストローブ=ユイレ・プラス・ゴダール 下澤和義
―音楽を映像に記録するとはどういうことか
第2章 ドキュメンタリーとフィクションのはざまで 上原正博
―『アクト・オブ・キリング』と『ジェイコブズ・ラダー』におけるリアリティ
第3章 写真とことばと「不在」へのまなざし 根岸徹郎
―ジャン・ジュネ「の」パレスチナに向けて
第4章 中国映像歴史学の挑戦 土屋昌明
―胡傑監督『林昭の魂を探して』について
第5章 中国宗教儀礼における映像人類学 三田村圭子
第6章 日本における中国映画の受容史 劉文兵
―徳間康快主催の「中国映画祭」を中心に
内容説明
20世紀後半、映像による視覚文化が発展するプロセスで、映像(とくにドキュメンタリー映画)がどのような作用を及ぼすものとして扱われてきたか、つまり、いかなる方法として映像ないしドキュメンタリーが存在してきたかを考察、いくつかの側面から検討する。