目次
第一部 折口信夫の歌舞伎論
一 歌舞伎、この低俗なるもの
二 芸術の堕落としての芸能
三 享楽としての非芸術
四 『かぶき讃』における役者容姿論
五 容姿と芸
六 美と醜
七 嘘としてのイメージとイメージとしての真理
八 イメージと構想力
九 イメージとその本質
十 イメージの範例としてのデスマスク
十一 退引、眼差しのない眼差し
十二 区別されたものとしてのイメージ
十三 記憶された〈映像〉
十四 テキストとイメージ
十五 振動するもの
十六 結論 まれびと─イメージを産み出すもの
第二部 折口信夫の芸能論
一 歌舞伎と演劇
二 古代ギリシアの芸術と近代の芸術
三 カントと美の概念
四 「しじま」から神語へ
五 ハイデガーとヘルダーリンにおける祝祭
六 歴史の本質根底としての祝祭、人間と神々
七 祭りと聖霊
八 芸能と神
九 「半神」と「神人」
十 流れと所在
十一 祭りに現前するもの
十二 詩作と思索
十三 流離(さすら)う半神たち─まれびと、芸能の発生
十四 見物と陶酔
十五 「かぶき」と歌舞伎
十六 真理と芸術との葛藤
十七 芸術と真理─「実感」としての和解
十八 発生と和解─文学─
十九 発生と和解─芸能─
補論 「言語情調論」をめぐって─折口信夫とハイデガー─
一 はじめに
二 言語と情調
三 言語の優位
四 ハイテガーのヘルダーリン講義
五 詩作と言語
六 聴くことの意味
七 「言語情緒」と「根本情調」
八 〈音〉と〈沈黙〉
あとがき
一 歌舞伎、この低俗なるもの
二 芸術の堕落としての芸能
三 享楽としての非芸術
四 『かぶき讃』における役者容姿論
五 容姿と芸
六 美と醜
七 嘘としてのイメージとイメージとしての真理
八 イメージと構想力
九 イメージとその本質
十 イメージの範例としてのデスマスク
十一 退引、眼差しのない眼差し
十二 区別されたものとしてのイメージ
十三 記憶された〈映像〉
十四 テキストとイメージ
十五 振動するもの
十六 結論 まれびと─イメージを産み出すもの
第二部 折口信夫の芸能論
一 歌舞伎と演劇
二 古代ギリシアの芸術と近代の芸術
三 カントと美の概念
四 「しじま」から神語へ
五 ハイデガーとヘルダーリンにおける祝祭
六 歴史の本質根底としての祝祭、人間と神々
七 祭りと聖霊
八 芸能と神
九 「半神」と「神人」
十 流れと所在
十一 祭りに現前するもの
十二 詩作と思索
十三 流離(さすら)う半神たち─まれびと、芸能の発生
十四 見物と陶酔
十五 「かぶき」と歌舞伎
十六 真理と芸術との葛藤
十七 芸術と真理─「実感」としての和解
十八 発生と和解─文学─
十九 発生と和解─芸能─
補論 「言語情調論」をめぐって─折口信夫とハイデガー─
一 はじめに
二 言語と情調
三 言語の優位
四 ハイテガーのヘルダーリン講義
五 詩作と言語
六 聴くことの意味
七 「言語情緒」と「根本情調」
八 〈音〉と〈沈黙〉
あとがき
内容説明
本書は芸能・演劇、特に歌舞伎を媒介にした「折口信夫論」である。著者は実存哲学以降の現代思想専門家であるから、ハイデガーやニーチェ、ヘルダーリンなどども折々にあらわれて論層を強固にしている。補論として、「言語情調論をめぐって -折口信夫とハイデガー」を付す。